大判例

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福岡高等裁判所 昭和43年(ネ)293号 判決

控訴人 小野リサノ

〈ほか七名〉

右控訴人ら八名訴訟代理人弁護士 大和虎雄

右控訴人吉武定治、同井上キヨ、憲文、由紀子、麗子訴訟代理人弁護士 和智昂

同 武井正雄

被控訴人 境トヨ

〈ほか三名〉

右被控訴人四名訴訟代理人弁護士 多加喜悦男

主文

原判決を取消す。

被控訴人らの請求を棄却する。

訴訟費用は第一、二審とも被控訴人らの負担とする。

事実

控訴代理人は、主文同旨の判決を求め、被控訴代理人は「本件控訴を棄却する。控訴費用は控訴人らの負担とする。」との判決を求めた。

≪以下事実省略≫

理由

一、八六二番の二〇の土地一八〇坪六〇が元小野近治郎の所有であったことは当事者間に争いがなく、≪証拠省略≫を総合すれば、右土地について次のとおり売買契約が成立したことが認められる。

すなわち、境東太郎は戦後間もなく同人の娘である被控訴人澄子所有名義の八六二番の一八の土地にある家屋に居住することとなったが、同所は別紙図面記載の如く南方国道三号線に出るためには、当時更地であった前記八六二番の二〇の土地を通らなければならなかったため、同地を第三者が取得するときは、国道三号線への通路を喪うおそれがあった。

そこで東太郎は右通路を確保するため、八六二番の二〇の土地の一部を買受ける必要に迫られたが、通路部分のみの購入は実現困難なので、同地に隣接する土地を所有する山下鹿太郎、高浜惣市らに働きかけて共同して同地を購入しようと考えた。その結果鹿太郎の息子である井上國文が取締役に就任していた新興木材が材木置場として使用するため同地の一部を買受けることになり、また高浜も同人所有の八六二番の一二の土地に建築していた家屋の敷地として八六二番の二〇の土地の一部を買受けることになった。

ところが当時同所付近は旧小倉市紫川東部区画整理組合による都市計画法に基づく区画整理事業が進行しており、すでに八六二番の二〇の土地(別紙図面イ、ロ、ハ、ニの部分)は現地換地として、国道三号線に面した同図面ヘ、ロ、ハ、ルの部分三二坪四七が道路敷地として収用され、その残地イ、ヘ、ル、ニの部分一二九坪七九につき仮換地の指定がなされ、その地積、位置、形状もほぼ確定していたので、右当事者は仮換地の現地について各自その必要とする土地の範囲を特定して当該部分を買受けることにした。すなわち、東太郎は同図面リ、ト、ル、ニの部分を、高浜はイ、ホ、チ、リの部分を、新興木材はホ、ヘ、ト、チの部分をそれぞれ買受けることと定め、その地積は概算して東太郎の分が約一三坪余、高浜の分が約一九坪余、新興木材の分が約九八坪あるものとし、その坪数に応じて売買代金を負担することを申し合わせた。

そこで高浜および新興木材は東太郎に右土地の購入方を委任したところ、同人は昭和二二年九月二四日、小野と面識ある佐藤四郎平を通じて同地を坪六五〇円、代金総額金八万四、三〇五円で買受ける話をまとめた。よって右買受人三名は協議の結果各自の買受部分の位置に応じて代金に格差をつけることになり、国道三号線に面した部分を買受ける新興木材は坪七〇〇円、高浜および東太郎は坪六〇〇円で買受けることとし、新興木材は同日金二万円、同年一〇月一〇日金四万九、〇〇〇円を、高浜はその頃約金一万二、〇〇〇円をそれぞれ東太郎に支払った(その結果東太郎は売買代金額を上廻る金員を取得することになるが、その差額は同人に対する世話料その他諸経費に充てられたものと推認される。)。そこで東太郎は同年一〇月一〇日小野との間に右土地につき自己を買受人とする売買契約書を作成し、代金を支払ってその所有権を取得した。

しかしながら、前記三名の内部関係においては、東太郎は新興木材および高浜の委任を受けて右売買契約を締結したものであり、前述の如き契約成立に至る経緯に徴すると、右当事者間においては、予め受任者が所有権を取得すると同時にその所有権の一部が委任者に移転する旨の物権的意思表示がなされていたものと推認されるから、東太郎が右土地を買受けて所有権を取得すると同時に新興木材および高浜もまた各自の買受部分についてそれぞれ所有権を取得したものといわなければならない。

もっとも、右売買契約は仮換地自体を目的物として表示してなされたものであるが、従前の土地所有者は仮換地について使用収益権を有するものとはいえ、仮換地自体の処分権を取得する余地はなく、使用収益権以外の土地に関する権利の行使、処分はすべて従前の土地についてなされるべきであるから、売買の目的物たる土地として仮換地を表示していても、法律的には従前の土地の売買と解するのが相当である。

ところで本件においては、前記三名の買受人が所有者からそれぞれ右仮換地の特定の一部分を買受けたと同じ結果となるが、このような場合、その部分が従前の土地のどの部分に対応するかについて当事者間に合意がなく、かつこれを確定することができないときは、仮換地全体の面積に対する当該部分の面積の比率に応じた従前の土地の共有持分を買受人は取得するものと解さざるを得ないであろう。

しかしながら、本件においては、前記認定の如く、別紙図面イ、ロ、ハ、ニの従前の土地のうち、国道三号線に面した同図面ヘ、ロ、ハ、ルの部分三二坪四七が道路敷地として収用され、その残地イ、ヘ、ル、ニの部分一二九坪七九について仮換地の指定がなされた。いわゆる現地換地であり、仮換地の形状も従前の土地の奥行が若干短縮された程度で両者の間に著るしい変化はなく、しかも先に認定した買受人の土地使用の目的、隣接所有地との位置関係、買受部分特定の経緯等を併せ考えると、東太郎は本件売買により国道三号線に至る通路として従前の土地のうち同図面リ、ヌ、ハ、ニの部分の所有権を取得し、高浜および新興木材はその余の土地イ、ロ、ヌ、リの部分を各自の買受部分の面積の比率に応じて按分し、高浜はその北側部分、新興木材はその南側部分の各所有権を取得するとともに、右各従前の土地に対する所有権に基づいて各自仮換地の買受部分を独立して使用収益する権能を認める旨の暗黙の合意がなされたものと解するのが、当事者の意思に合致するものと考える。

したがって本来ならば、当事者は協議により従前の土地を右所有権の範囲に従って分割し、その分筆登記手続を経由した後、土地区画整理事業施行者に届出て仮換地の変更指定処分を受けるべき筋合であるが、本件八六二番の二〇の土地については、福岡法務局北九州支局昭和二二年一〇月一一日受付第五、七三六号をもって東太郎および新興木材を登記権利者とする所有権移転請求権保全の仮登記を経由したのみであった(仮登記の点については当事者間に争いがない。)。

二、ところで、≪証拠省略≫を総合すれば、東太郎は土地区画整理事業が進捗してその工事完了の時期が近づいたので、前述の煩雑な中間の手続を省略し、施行者による換地処分を利用して一挙に仮換地買受の目的を達成しようと考え、昭和二四年一一月頃、仮換地に隣接する八六二番の一八の土地を所有する被控訴人澄子が前記通路部分を小野から買受けたかのようにして売渡証書を作成し、施行者に対し同被控訴人名義の「換地配当御願」と題する書面を提出するとともに、高浜の関係においても同人に代って同様の手続をなし、別紙図面リ、ト、ル、ニの部分を被控訴人澄子所有の八六二番の一八の土地の換地の一部として、同図面イ、ホ、チ、リの部分を高浜所有の八六二番の一二の土地の換地の一部として、それぞれ右各地番に併せて換地処分されるよう申請したことが推認される。

そして≪証拠省略≫を総合すると、前記区画整理組合は右申請に基づき、昭和二五年九月一〇日の同組合総会において、右図面リ、ト、ル、ニの部分一四坪四五を黄金町七番地として八六二番の一八の土地の換地の一部に、同図面イ、ホ、チ、リの部分一九坪五四を八六二番の一二の土地の換地である黄金町一二番地の一部にそれぞれ組入れ、残地ホ、ヘ、ト、チの部分九五坪八〇を八六二番の二〇の土地の換地である黄金町八番地として換地処分する旨議決し、昭和二七年一一月五日付で右のとおり換地処分がなされ、同年一二月一一日その旨の登記を了したことが認められ、他に右認定を左右すべき証拠はない。

以上の事実によれば、東太郎および高浜は、右換地処分により、同人らが従前の土地八六二番の二〇の一部を所有していた部分に対応する換地を取得してその目的を達したことになり、したがって右八六二番の二〇の土地については、同人らはもはや何らの権利もなく、その換地である黄金町八番地は新興木材の単独所有(ただし登記簿上は小野近治郎名義)に帰したものと解するのが相当である。

なお右換地処分に至る経過は叙上の如く中間の手続に明確を欠く憾みはあるが、都市計画法ならびにこれに準用される耕地整理法には換地処分前の土地使用関係(仮換地の関係)については詳細な規定がなく、耕地整理法施行規則九条一〇号により、この点は区画整理組合の規約に委ねられていたこと、そして当時における前記区画整理組合の換地処分をみると、本件の如く中間の手続を省略した事例がかなり存在すること(≪証拠判断省略≫)に徴すれば、すくなくとも本件換地処分にはこれを無効とするほどの重大明白な手続上の瑕疵はなかったものと推認することができる。

さらにまた、黄金町八番地が新興木材またはその承継人の所有に帰したとの前記認定は、次の事実によっても裏づけることができよう。

すなわち、≪証拠省略≫を総合すれば次の事実が認められ(る。)≪証拠判断省略≫

1  新興木材は八六二番の二〇の土地の一部を買受けた後、右買受部分を材木置場として使用し、昭和二三年夏頃同所に建坪約六〇坪の倉庫を建築したが、昭和二四年八月三一日同会社が解散したのでその後は右倉庫の南半分を同会社の監査役であった清水隆盛が、北半分を前記井上國文がそれぞれ使用することになった。昭和三〇年頃井上は右倉庫が朽廃したのでその北半分を解体し、その後に同人の義弟が事務所兼居宅を建築して使用し、倉庫の南半分は昭和四〇年頃清水が第三者に賃貸した。このように同地は換地処分の前後を通じて新興木材およびその承継人らにおいてこれを占有使用してきたが、このことについて高浜は勿論、東太郎も異議を述べたことはなく、同人らはそれぞれ各自の買受部分のみを占有使用して現在に至っている。

2  また八六二番の二〇の土地の固定資産税は換地処分前は各買受人が買受部分の地積の割合に応じて負担してきたが、換地処分後は黄金町八番地の分については新興木材の承継人らが負担し、黄金町七番地は被控訴人澄子が、黄金町一二番地は高浜が負担して支払っている。

3  さらに東太郎は前記換地処分も終了したが黄金町八番地の土地は登記簿上小野近治郎の所有名義になっているのでその所有権移転登記手続をなすべく、昭和二九年八月一〇日頃近治郎の相続人である控訴人小野リサノ外二名に対し右登記義務の履行を請求して、当時新興木材の清算人として同会社から右土地の所有権の信託譲渡を受けていた控訴人吉武定治および井上國文に対し、同年一一月一〇日黄金町八番地の土地を同番地の一、二に分筆し、さらに福岡法務局北九州支局同日受付第九、六二〇号をもって控訴人小野リサノ外二名の相続登記をなしたうえ、同日受付第九、六二一号をもって控訴人吉武および井上に所有権移転登記手続を完了させた(信託譲渡および右各登記の点は当事者間に争いがない。)。その際東太郎は八六二番の二〇の仮換地のうち約三四、五坪はすでに区画整理によって分割ずみであるとして右八番地については自己の所有権を主張することなく登記に協力した。

かかる事実から判断しても前述の如く黄金町八番地は換地処分の結果新興木材ひいてはその承継人である控訴人吉武および井上の所有に帰したものと考えるのが、当事者の意思に合致するところであろう。

もっとも≪証拠省略≫によると昭和二五年九月一〇日の前記区画整理組合の総会において、高浜および被控訴人澄子は換地処分により地積が増加するため、徴収金として合計金八〇〇円七七銭を課せられ、小野近治郎は減歩による交付金として金八七二円一七銭を給付される旨議決されたことが認められるが、≪証拠省略≫によると、当時近治郎はすでに死亡しており、その遺族も右交付金を受領した事実のないことが認められるので、さきに認定した如き東太郎の果した役割に徴すると、右交付金は同人がこれを受領して前記徴収金に適宜充当し、買受人相互間において清算手続を終えたものと推認することができるから、右≪証拠省略≫の記載によっても前記認定を左右することはできない。

三、とすれば東太郎は黄金町八番地の一および二の土地については何らの権利も有しないから、同人が右土地につき二分の一の共有持分権を有することを前提とする被控訴人らの本訴請求は爾余の点につき判断するまでもなく、失当として棄却すべきものである。

よって以上と趣旨を異にする原判決は取消を免れず、訴訟費用の負担につき民訴法九六条、八九条、九三条を適用して主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 入江啓七郎 裁判官 藤島利行 前田一昭)

〈以下省略〉

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